ドイツとソ連によるポーランドの侵攻
1939年9月1日に起きたドイツ軍によるポーランド侵攻によって、何十万人ものユダヤ人と数え切れないポーランド人がドイツの侵攻前に、東へと逃げ出しました。ソ連軍はドイツとの秘密条約のもとに、9月17日にポーランド東部を占領しました。推定で30万人のユダヤ人難民は、2つの悪のましなほうとしてソ連を受け入れ、そこに留まりました。約4万人のユダヤ人は、ナチスまたはソ連軍に捕まることを恐れながら、また非占領地域から海外に逃れることを望みつつ、あるものは南に進んでルーマニアやハンガリーに入り、あるものは北東に向かってリトアニアに入りました。
ヴィルナ(ビリニュス)とその周辺地域が10月にはソ連からリトアニアの管理下に移行するという知らせが広まるにつれて、数世紀にわたるユダヤ文化の中心地に何千人というユダヤ人が続々と流れてきました。ところが新しい国境が封鎖されると、リトアニアに渡ることが危険になったため、多くの人々が引き返しました。
「まさにパニックでした。大集団による離脱でした。 群衆はそれぞれの家を捨て、不安な未来に対して危険な逃避行に向かっています。」
—ダヴィド・シエラコヴィアク(日記著者)。1939年9月6日、ポーランド、ウッチにて
「われわれの国は、世界支配をたくらむ強欲で冷笑的な2つの強国に飲み込まれていきました。ポーランド系ユダヤ人は350万人に上り、世界で最大のユダヤ人社会を形成していたのですが、存亡の危機にさらされていました。
—ゾラフ・バルハフティク(難民リーダー)、戦後の回想録より