難民に迫り来る危機
1940年6月15日にソ連軍がリトアニアを占領しました。直後に、共産党はリトアニアの経済と政府の転換を始めました。不正操作された国民投票の結果、リトアニアは8月4日に正式にソビエト社会主義共和国連邦となりました。
新政権は、当時NKVDと呼ばれていたソ連の秘密警察を使って、右派も左派もかまわず、反共産党主義者を取り締まりました。ヴィルナとカウナスで政治活動を行っていた難民は身を隠し、虚偽の身元を使うものもいました。永住権もなく、職もなく、すべての難民は弱い立場に立たされていました。ソ連の国籍を名乗ることは比較的安全でしたが、多くの人は、祖国に帰る望みを絶つことの不安からそれをしたがりませんでした。その裏には、「不安定分子」としてシベリアや他の不毛地帯に流罪となる危険もはらんでおり、ソ連に占領されたポーランド東部に住む数万人もの難民がすでにその運命に苦しんでいました。
「煙を感じました。一日中ソ連軍の戦車が通り過ぎてゆき、何かが起こる気配がしました。我々哀れな難民はただ震えていました。」
—ローズ・ショシャナ・カハン。1940年6月14日、ヴィルナにて
「逮捕は定期的に音もなく行われていました。たいてい夜の闇にまぎれて行われたのです。まさに陰鬱な雰囲気がこの国を覆っていたのです。」
—オーエン・ノーレム(米国領事)。1940年7月25日、カウナスにて